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山行記録 カレンダー
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msc_kiroku2 2006-2-11 22:13
メンバー 西舘章子 西舘彰芳  先週の三ノ塔に続き山歩きに行って来ました。筑波山を選んだのは、つくばエキスプレスに乗ってみたかったからです。1000メートルに満たない低山のうえ、手ぶらでも登れる山ですが、今回の目的は「適当な登山路を見つけて登ってみる」でした。梅園近くから山の西側をまわりこむ古い山道があるという情報があったので、そこを探すことから始めました。(各写真はクリックすると大きくなります)
今回のルートです。
筑波山全景です。
入山点は駐車場と梅林を結ぶ林道上に見つけました。もう一カ所それらしき場所があったのですが、どうも沢筋のようでもあり、こちらのほうが踏み跡がしっかりしていることもあって、ここからとしました。標高は200メートルそこそこ。
ペンキで分岐が記されています。まっすぐ直登もできそうです。直進するとストレートに山頂を目指すコースのようなので、楽しもうと左折しました。が、どうもこちらのほうが利用者が多いようです。
しばらく緩いトラバースが続き、頂上の真西まで行くのか、と思ったところで登りが始まりました。450メートルを超えたところから傾斜がきつくなります。尾根筋ですが岩場の連続です。
700メートルを超えると傾斜も緩みます。上部はブナ林が続く気持ちのよい場所でした。ここまで出会ったのは登り5人、下り1人。
登り詰めると、観光地が待っていました。焼きそば&おでんで一杯。この気楽さがまたいいのですが。
下りは登山電車脇の道。木製階段と岩場のミックスです。あっという間の50分。
ホテル青木屋の露天風呂です。空気が澄んでいれば富士山まで望めたはず。下から多分裸体が丸見えです。 ※今回は地図読みも目的のひとつでした。最初の地図でわかるように、筑波山は南側から登るとピークはひとつ(男体山・女体山のふたつ、でもありますが)しかありません。どこであれ、登ってゆけば山頂に着きます。しかも途中の等高線が細かくなる場所はほぼ共通で、どこを選んでもラクということはなさそうです。 事前に a の林道沿いにいくつかのいまでは表示されていない登山路があることもわかっていました。今回の入山点は、たぶん「梅林コース」と呼ばれているものだと思います。十字路から西の道も踏み跡がはっきりしている上、ピークの方向(目視はできませんが、傾斜で方向はわかります)を1/25000と地図で確認しながら登りました。同じ高さをまわっていっても b の登山路に出るはずでしたのであまり心配はありません。しかも道迷いしそうな場所には写真のように枯れ枝が束ねてふさがれているため、判断に困ることもありませんでした。
ある記録に「猿田彦神社」の名前があったのですが、地図上にそれらしき建物はありません。実際行ってみると写真のようなものでした(手ぶれすいません)。
事前の調べも大切ですが、最後は地図を読み込めるかどうかにかかってくる。カンタンな山で試してみるのは、いい勉強になります。

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msc_kiroku2 2006-2-4 20:19
参加者: CL・記録/両角なつ子 SL/両角充康 小笠原早苗  翌日は総会。せっかく丹沢に集まるのだから前日に訓練山行をということで、ボードとハイキング(2組)に分かれ実施。わが班の記録は小笠原さんの担当であったが、私が代筆させて頂く。またもや思い出し記録であることをお許し願いたい。 なんたって初めてのCLなのよ。たかがハイキングと言うなかれ、たかが三ノ塔と言うなかれ。それに私もどの程度歩けるのか自身で確認したかった。そこで、ほがらかにお喋りしながらゆったりと林道を歩く小笠原さんに言った、「今日は訓練山行だから、訓練のつもりでしっかり歩こうね。」 だってさ、このワタシが。まあ本人としては気合を入れてきたつもりなのである、笑っちゃぁいかんよ。 烏尾尾根は人が集中しないので、表丹沢の中では趣があるほうなのではないだろうか。最初は急登が少し続く。モロちゃんはどんどん私の前に小さくなっていく。小笠原さんは少しずつ私の背後に小さくなっていく。ん、どうしたらええ。急登が終わるあたりで休憩を一発入れようと思っていた。ところが到着すると、モロちゃんいないじゃん。どうしたらええ。烏尾頂上まで行って休憩すればいっか。歩き出すが心が落ち着かず、戻ってみたり、進んでみたり。結局頂上で待つことにしたのだが、ダメじゃんモロちゃん、一人で先行っちゃ。 三ノ塔への尾根は氷っていて、小笠原さんと一緒にチェーンを装着した。頂上で待っていると、「チェーンを片方失くしてしまって歩きにくかったぁ」と言いながら彼女到着。ここで密かに喜ぶ不謹慎な私。やっぱワシも授業料少しは払っとるけんね、ベルトで固定するワザ知ってるけんね、ふっふっふっ。 下山も三人バラバラであった。ここでも迷ったが、やはりSCで待つことにした。雪がチラホラしはじめた頃、小笠原さんは戻ってきた。どうしたらよかったんでしょう、こういう場合。メンバーをバラバラにしてしまった不甲斐ない私でありました。

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msc_kiroku2 2006-2-4 10:51
メンバー:西舘彰芳 章子  総会前日、山岳SC泊まりなので久々に丹沢を歩いてきました。一昨年は山といえば丹沢だったのに、昨年は八ヶ岳から谷川、奥多摩と転戦し、丹沢を歩く機会もありませんでした。しかもよく考えてみると会に入ってから夫婦で歩いたことがない。原点である丹沢、それもヤビツからというコースを選びました。  ほんとは蓑毛から歩くつもりだったんですが、偶然(w 来たバスがヤビツ行きで、なんとなく終点まで乗ってしまいました。峠は前日雪が降ったようで2センチほどの積雪。9:05出発。富士見小屋経由で三ノ塔への道は、ちょうどイヤな感じで雪と氷と岩がミックスしていて、滑る滑る。  門脇さんから「滑り止めがあるといーんでねーの」と助言いただき、四十八滝沢では使わなかったゴムバンドを装着。これが効きました。もっとも西舘(♂)は土踏まずより前に締めてみたもののいつのまにか脱。休憩中に後からきたおばさんに「片っ方拾ったわよ」と持ってきてもらう体たらく。もう一方はついにみつかりませんでした。まあ昨年のきのこ山行で同じやつを片方壊したのがあるので、これでペア。  さて三ノ塔尾根は下りが凍った場所とグズグズのミックスで気が抜けない道のり。ホントは三ノ塔頂上で両角さんたちと(ぐうぜん)出会って美味しいうどんのお裾分けを狙っていたのですが、それもかなわず12時に山岳SCに到着しました。
途中のベンチで。富士山がよく見えます。
凍っていたりグチャグチャだったりと足下はひどいもんです。
汚くてごめんなさい。右足を見るとバンドが見えます。簡易アイゼンですが岩でも邪魔しないので安心して下れます。かもしかで1000円弱でした。
三ノ塔頂上。冬の間に一度縦走もしてみたいものです。

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msc_kiroku2 2005-11-23 20:30
メンバー:両角なつ子 「なつ子新道」を行く 高尾山ハイキングで気を良くした私は、MSCで丹沢集中があると聞くやいなやハイキングで合流させてもらおうと決め、参加を申し出た。会に戻ろうと思ったものの、高尾山を歩いただけではまだ不安が残り、この山行で再度歩けるかどうか確かめたかったのだ。皆は3パーティに分かれ沢を登り、花立に集中する。私は政次郎尾根から入り、塔ノ岳を経て花立で合流することにしていた。当日、戸沢の出合で門脇さんに「どこを登るの?」と聞かれ、そのように答えた。もっとも私はハイキングマップしか持っていず、そこには政次郎尾根の名称が書かれていなかったためその名を答えることができず、しかも初めての道だったゆえ、門脇さんにハイキングマップを見せ「ここを登ります」と説明したのだった。すでに「ア・ヤ・シ・イ」。門脇さんから「書策新道のほうが歩きやすいよ、景色もいいし」と言われ、書策なら何度か歩いているしその方がいいかと即変更。こうして私の「アヤシイ山行」は始まったのだった。 書策新道を歩きはじめ、本谷の渡渉点少し前になって靴の異常に気がついた。右足の靴底かかと部分がはがれ、バタバタしだしたのだ。そんなとき、ザックの天蓋の中ではピーッという音がし、携帯電話の電池が切れたと私に告げた。なんちゅうこっちゃ、時間もわからんようになってしもた。時計を持ってくるのを忘れたのだった。本谷の渡渉点に着き、さっそく靴の補修にとりかかった。やっぱなー、ハイキングつったってシュリンゲの数本は持ってくるべきだったよなー。テーピングテープもガムテープもなし。いざとなればザックの口紐という手もあるが、一度とってしまったら後が面倒だから、手ぬぐいを裂いて使うことにした。 応急処置後、歩き始めるとすぐに今度は左足の靴底もバタバタいいだした。友達が昔言っていたのを思いだした、何年も履かなかった靴で山登りをしたら靴が崩壊して困ったと。こういうことかぁ。やはり手ぬぐいで応急処置。そうこうするうち、二本目の沢の渡渉点では右足の靴底が全部剥がれ、それを処置しなければならないはめに陥った。ストックの先をライターで熱し、靴底の薄い部分に穴をあけ、手ぬぐいの紐を通し靴と固定する。何度か修理するうちに、手ぬぐいは水でぬらして固く縒ったほうがいいという知恵もついた。でもこの先どうしよう、靴がこんなじゃなぁ、戸沢に戻って待っていようか、それとも本谷の・・・、いやいや、そんなに長い行程ではないし、たとえ靴底が無くなったとしても裸足になるわけではない、このまま予定どおり進むとしよう。 そうこうするうち、三本目の沢が現れた。ちょっと待てよ、地図では3つめの沢っちゅうとセドノ右俣じゃん。これ渡っちゃったらだめじゃん。おかしいなぁ、どこで間違えたんだろう。じゃこのまま沢を詰めても巻き道はあるだろうし詰めてみるか、と歩き出した。けれどやはり崩壊した靴にはゴーロはきつかった。やっぱり登山道を歩こう。ということは、この左尾根に書策新道があるわけで、左によじ登ればいいわけで、とめちゃくちゃな考えを行動に移したのだった。ここからが「なつ子新道」の始まりなのである。 尾根に登ると踏み跡らしきものがあった。よかったよかったと進んでいくと、だんだん様子がおかしくなりだした。ま、いっか、と進んでいくと更に様子がおかしくなりだした。違う、書策新道ではない。後で確認して解ったことだが、そこは木ノ又大日沢とセドノ左俣との間の尾根であったのだ。左足の靴底も完全に剥がれた。処置をしながら考える、どーしよー。危ういところもあったから、私には、戻るのはもっと危険だよなー。でもこの先、岩なんか出てきちゃったら登れる? 追い討ちをかけるようにあたりには霧がたちこめてきて、だんだん心細くなってきた。でも、行くしかないよな。また歩き始めた。完全にヤブ山世界への突入となる。笹数本たよりのよじ登りが続く。岩も一つだけ現れたがそれは容易く乗り越えられた、ラッキー。山って不思議だね、尾根が見えてきて、もうすぐそこが目指す尾根かと思うと、また違う尾根が見えてくる。そんながっかりを何度も繰り返すうち、ひょっこりと登山道にでた。やったぁ! 女性が歩いていたので道を確認した、 「すみません、塔ノ岳はこっちでいいんですよね」 歩くとすぐに木ノ又小屋が現れた。やれやれとベンチに腰をおろし昼食をとりはじめた。すると先程の女性も到着し、わたしにこう尋ねた。 「どこから登っていらっしゃったのですか?」 なんでも、変な所からひょっこり現れたので不思議だったのだそうだ。そりゃそうかも知れない。沢登りの格好をしているわけでもなく、軽いハイカー姿のおばさんが、変な紐でガシガシに巻かれた靴を履いて妙な所から出現し、しかも道まで尋ねられたわけだから。適当な返事をしたついでに、もう少し変なおばさんを印象づけて差し上げることにした。 「すみません、今何時ですか?」 これで決定的だな。なんせ、時計さえも持っていないことを教えてあげたわけだから。  休憩を終え、歩き出す。二本ストックは私には心強い友だ。足が悪いのが判明してから、これだけは手放せない。長さとか使い方とか指導されるが、バランスをとるのではなく、体重をかけてしまう癖がついてしまっていて、もうこの使い方は直せない。早い話、四足で歩いているのだ。まあそのおかげもあって、何人かちゃんと抜いて歩けた。塔ノ岳を経て、花立に到着。そこでまた人に時間を聞き、間に合ったのを知った。一番乗りだ。なんだ、靴の崩壊とヤブ山がなかったら待ち時間がありすぎて困っちゃったわけね、などと妙な喜びかたをする。しばらくしてモロちゃんが現れ、次に小笠原さんがやってきた。次第に皆の顔が集まりだした。集中って楽しいですね、嬉しいものですね。靴の崩壊を知って、西舘(彰)さんがテーピングテープを差し出してくれたので、ありがたく使わせて頂いた。これで下山は万全だ。  小笠原さんと下山を始めた。天神尾根へ入るとき後続の男性に先を譲ったのだが、なんでも足の調子がよくなく、私たちのペースがちょうどいいのでどうぞ先を歩いてくださいと言う。涼やかな顔立ちの青年だったのでちょっぴり嬉しくもあったのだが、しばらくして妙な考えが私の頭を捉えだした。待てよ、いくらおばさんだと言ってもワシラは女性だ。山の中で知らない男性と一緒に歩くのは気をつけたほうがいいぞ。そうだ、いざとなったらストックを武器にしよう。わたしって、やっぱり変なおばさんでしょうか。そのうち、ダダダーッと駆け降りてくる二人連れが私たちの傍らで止まり挨拶をしてきた。なんと古屋さんと橋本さんであった。超特急で下山し、家に戻り車を置き、また電車で渋沢に戻り反省会に参加するのだという、素晴らしい仲間思いの行動であったことを後に知った。拍手。二人はまた、ましらのごとく駆け降りていった。その後、変なおばさんの心配をよそに、何事も無く天神尾根を終え戸沢の駐車場へたどり着き、件の青年と挨拶を交わす。そして小笠原さんの安全運転で反省会会場へと向かった。  何度も歩いていたはずの書策新道であるにもかかわらず道を見失ったのは、いつも他人任せの山行であったこと、石につけられた印さえ見逃してしまうようないい加減さであること、小さい枝沢なんぞいつ現れては消えるとも知れず、ハイキングマップではなく二万五千分の一の地形図で読み取れなければいけないこと、要するにハイキングもまともにできない超シロートであることが判明した、とてもありがたい山行でした。にもかかわらずです、しっかとMSC復帰を心に決めた山行でもあったのでした。ああ、この先が思いやられるわ。こんな私ではございますが、どうかみなさま、よろしく御願い候也。

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msc_kiroku2 2005-11-3 8:37
メンバー:清野明 両角充康 両角なつ子(記録) 11月2日  清野さんが翌日夫と岩登りに行くために我が家へきたる。で、そうなのだ、例のごとく私も一緒に先行反省会とあいなったわけである。清野さんもモロちゃんも、明日は二人だけの気心知れた山行。そのせいもあってか、翌日三人が目覚めたのは、な、なんと8時だったのである。 11月3日(祭日)  天気はすこぶるよろしい。でも岩に行くにはちと出遅れた。「どうしようかなぁ」と二人は今日の行動を決めかねていた。TVを見ながら朝食をとっていると、ニュースで高尾山の紅葉の話題が流れた。「紅葉もいいねぇ」とつい口走った私。それが予想だにしなかった展開に事を運ばせた。清野さんとモロちゃんが「行ってもいいよ」と答えたのである。わ、どうしよう、私はもう何年も山を歩いていないのだ。高尾山つったって、私には立派な山なのである。しばし心は愚図ったが、二人が再度勧めてくれたので行くことに決めたのだった。わわ、すごいじゃん、指導員を二人も連れてのハイキングだよ?。  祭日なので表の登山道はハイカーでいっぱいで歩きにくかろうと、小仏から登ることにした。車を止め、歩き出す。ここは、以前夫と訓練としてよく歩いた道だ。最初の休憩地点の小仏峠には、あっという間に着いてしまった。以前はまだかまだかとフウフウいってたのになぁ、今日は調子がいいんだろうか。  その後も気持ちよく城山を越え、高尾山頂上に到着。そこは清野さん曰く「まるで新宿駅の混雑ぶり」であった。私たちは恐れをなしてさっさと今来た道を戻ることにした。  今日はなんだかとっても歩くことが楽しい。あんまり気持ちがいいので、歩きながら私は自分でも予想しなかったことを考えてしまっていた、MSCに戻りたいなと。でも戻るからには会の役にもたちたい。そうだ、低山ハイキングだって立派な山の楽しみ方じゃん。会が大きくなってくれば必然と様々な技量、体力の新人も増えてくるだろうし、それに現会員の高齢化だって進む。んじゃ、こういう山行形態の下地作りをしてもいいじゃん。それって会のためになるじゃん、・・・などと。それでも往路では、下山するまではまだちゃんと歩けるかどうかわからないから様子を見たほうがいいとおのれをたしなめていたものの、復路ではもうすっかり私はその気になってしまっていたのだった。それほど歩くのが楽しかったということだろう。それに、指導員たちのリードのよさもあったのよね。結構おだててくれたり、その気にさせてくれたり、気を使わせちゃったんだ、ありがとう。下山したときにはすでに「MSCに戻るんだ」と心に決めるほど、舞い上がっていた私であった。  そんなこんなの、高尾山ハイキングでした。この時点では、まだ私は非会員でありましたが、復帰のきっかけとなった山行でもあり、記録を書かせて頂きました。そして、決定的となった山行、<「なつ子新道」を行く>に続くのだー。
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