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山行記録 カレンダー
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 2009-8-7 2:00
日程:2009年8月7日 ? 8月11日
山域:北海道大雪山カウンナイ川 大雪山系十勝岳連峰
山行形態:沢登り、縦走
メンバー及び役割: 大浦

記録:
8月7日 天人峡温泉で門脇、西村、平川、木村のメンバーに合流。クワウンナイ川入渓、870m付近右岸で幕営。
8月8日 稜線(日本庭園)にぬけ、トムラウシ北沼で幕営
8月9日 トムラウシ北沼発、三川台、コスマヌプリを経てオプタテシケ双子池泊
8月10日 オプタテシケ、美瑛岳、十勝岳をへて上ホロ避難小屋泊
8月11日 上ホロカメットク、富良野岳を経て十勝岳温泉へ

8月7日、8日両日の記録は平川さんのクワウンナイ川遡行記録を参照されたい。この両日はカウンナイ川遡行パーティのメンバーとして参加していた。9日以降、単独で十勝連峰を縦走した記録を記す。
8月7日 10時15分 天人峡温泉七福岩前のバス停に到着。本隊4人の到着を待ち、11時カウンナイ川遡行を開始する。8日午後稜線に抜け、トムラウシ北沼で幕営する。
9日、7時トムラウシ登頂。山頂で本隊と別れて、十勝連峰を目指して南沼に下る。南沼から三川台に至るまでは黄金ヶ原と呼ばれるところで、景観がすばらしい。高山植物が多く、高低差が少なく、高原のお散歩コースだ。気分良く歩いていたら、熊の新鮮な落し物を発見して驚く。爆竹とホイッスルで武装して歩くことにする。三川台からは一転して笹藪の中を歩く。天気が良すぎて暑いが、日差しをさえぎるものが何もなくて、大汗をかき大量に水を消費する。コスマヌプリまで、登下降を繰り返し、次第にトムラウシが遠ざかり、オプタテシケが近づいてくる。絶景だ。コスマヌプリとオプタテシケの鞍部にある双子池にたどり着いたのが14時でまだ日が高いが、暑さと荷の重さで疲れたので幕営することにする。シュラフやハーネスを干してのんびり過ごす。ここから仰ぎ見るオプタテシケは雄大だ。しかし山頂まで標高差が600 mもあり、ゴーロの急登を朝一番で上るのかと思うと、げんなりする。



10日 6時出発、7時半オプタテシケ山頂着。快晴で十勝連峰が一望できる。辺別岳、石垣山を越える。このコースは高山植物が豊富だ。熊の落し物が多く、掘り返したような跡もあり、突然遭遇しないように、ホイッスルを吹きながら歩く。美瑛富士を右手に見ながら、美瑛岳を目指す。縦走路から見る美瑛富士と美瑛岳はコニーデの双子のようだ。美瑛岳山頂から山体北西面をみると、コニーデとは一変して爆裂火口の荒々しい姿で、その姿の違いに驚く。ここからは十勝岳が指呼の間である。一木もない山であるが、均整のとれた美しい山体が目を引く。
鋸岳を越えて、十勝岳に取り付く。スコリアが堆積したグズグズの登路を喘ぎながら登る。植物がほとんどない、噴火後時間が経っていない火山だ。月面の写真のような斜面を登りきると、眺めの良い山頂だ。快晴なので、四囲の山、平野が見渡せる。噴煙を上げている火口もすぐそこに見える。
幕営予定地の上ホロ避難小屋のある、上ホロカメットクを目指して歩く。ボロボロに崩れそうな稜線を進むと、突然お花畑に出て、小屋が出現した。予想したより立派な小屋で、客も少なそうなので、テント泊をやめて小屋泊まりとする。
出発点からここまで、水場がまったく無く、4リットルを担いできて正解だった。
11日 5時過ぎ、上ホロカメットク登頂開始。あっさり頂上に着く。冬期登攀で有名な化物岩を観察する。ここからは十勝連峰の西端、富良野岳が間近に見える。三峰山を越えて富良野岳を目指す。上ホロまでとは一転して、高山植物が豊富だ。登りきれば、視界が広がり、トムラウシが遥かに見える。足下には原始ヶ原が広がり、夕張山地との間には富良野の町が見える。町の向こうに見えるのは富良野スキー場だ。スキーフリークだった頃、あのスキー場から十勝連峰を見て、いつか登ろうと思ってから、20年近く経つ。ついに来たかと感慨もひとしおだ。



山頂に1時間近くいて、十勝岳温泉に向かって下山を開始する。途中、化物岩、安政火口を見ながら、疲れた足を引きずりながら、ダラダラ歩く。下山後温泉に入り、一人でビールを飲みながら山行を振り返る。天気がずっと良く、景色も最高だった。もし毎年の山運に総量があるなら、この山行で大半を使ってしまったのではないだろうか? そう思うほどに満足感が得られた山行だった。

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執筆 : 
 2009-8-7 1:20
日程:2009年8月7日(金)?11日(火)
山域:北海道 忠別川支流クワウンナイ川遡行、大雪山縦走
山行形態:沢登り、縦走
メンバー及び役割:CL/門脇、SL装備/木村、食当?/大浦、食当?/西村、食当?記録/平川

記録:
 計画倒れに終わった昨年の教訓を生かし、今年は早々と木村さんが準備を進めてくれたおかげで、2年越しのクワウンナイ川は大成功に終わった。メンバーとしても思い付きで行けるような山岳ではなく、周到な準備と事前調査が成功に結びついた結果と言える。7月に起こった稜線での不幸な事故や、過去には増水による事故が多発している事から、一応入渓には慎重な判断が必要とされていた。しかし入渓の数日前から当面の間は降雨の心配は無さそうで、撤退の多いこの沢を初見で遡行出来るという幸運に恵まれた。(実際にメンバーの大浦さんは過去に3度撤退しているとの事であった) また、沢のついでに・・と言うには余りにボリュームが有りすぎる縦走も、中々本州の山岳では味わえない、価値のある山行になった。(MSC会員暦の長い西村さんにして、入会してこんなに歩いたのは初めて…とのことであった)

 7日(金)の早朝6時20分にはメンバー4名が羽田に集合した。大浦さんは一足先に現地入りしており、ガソリンなどの調達を済ませて入渓点の天人峡で待ち合わせている。木村さんは門脇工場に前泊し、門脇さんを空港に連れてくるという大役を担っている。西村さんは新調したザックで登場して嬉しそう。大きなザックを見ながら自分も嵩張るシュラフを迷わず新調してくれば良かったと思っていた。お盆の休みがスタートしたばかりの空港はかなり混雑している。荷物を預ける際にふと、カプサイシンスプレーがザックに入っていることを喋ってしまい、廃棄せざるを得なくなったのは痛かった。
 7:40発のADO旭川行きは、ほぼ定刻の9:30旭川に到着。思っていたより気温が高いが、さすがに北海道はからりとして気持ちがいい。私自身は夏風邪上がりで完全な体調では無かったが、この気候で一気にテンションが上がった。
 予約のタクシーで天人峡へ向かう。途中のスーパーで買い物もする。長閑な風景の道は蕎麦の花が綺麗だ。入渓点には10:40着。大浦さんともここで合流してメンバー5名が顔をそろえた。タクシーに不要な荷物を下山後に泊まる宿舎にデポしてもらえるよう頼んで11:20、念願のクワウンナイに入渓となった。(タクシー代は諸々で1万円)
 はっきりとした踏跡を10分ほど歩き、ポンクワウンナイ川の出合いから沢の中を歩く。心配していた水量はかなり少ないと思われる。(全体を通して膝上から足の付け根位の渡渉が多く、腰まで浸かる所はわずか)門脇さん先頭で、ここからは5?10m位の川幅を何度となく渡渉を繰り返して遡行する。水量は少ないとはいえ、重い荷を背負っての渡渉はやはり緊張させられたが、沢慣れしているメンバー中心で渡渉はスムーズだ。適度な水温も照りつける日差しに丁度良い。
 地形図上にも見られるインゼルが多い渓相は、両側の地形も合わせて観察しておかないと、二俣と勘違いしそうになる。いくら歩いても高度の上がらない河原を歩き、16:30に1日目の遡行を終了した。ここまでに出会ったパーティーは我々の他に2組。そのうち1組はガイド山行のようにも見られた。初日の幕場は予定していたカウン沢出合いまでは1時間ほど手前と思われるインゼル地形の中洲で薪も多く快適な幕場だ。ここで木村/平川がオショロコマを狙って竿を出す。餌はブドウ虫を用意してきた。(川虫も豊富なので餌の持参は不要であった)その1投目でそれぞれ1匹ずつGETした。それからはほぼ入れ食い状態。型はかなり小さいので大きめの物以外はリリースする。岩魚は難しい魚ではないが、オショロコマはヤマメ系の魚なので釣るのは難しいと思っていただけに拍子抜けした。5mの竿を新調してきた木村さんは暫くの間、自称『渓流釣りの天才』を豪語するだろう。焚き火でじっくり焼いたオショロコマと大浦さんが用意したジンギスカンは最高の沢飯であった。熊よけの爆竹を鳴らして早々と就寝。




 2日目も快晴。ちょっと遅めの7:00に幕場を後にした。8:10にカウン沢出合いに到着。この出合いに泊まるパーティーは多いようだ。この出合いから45分ほど遡行した所に魚留めの滝がある。今回の沢で初めての滝らしい滝で、幅広の大きな釜を持つ見ごたえのある滝である。これを左岸から巻き上がるといよいよ現れるのが滝の瀬13丁と呼ばれるクワウンナイのポイントだ。これは全く見事なナメだった。水量豊かな20m位の沢幅いっぱいのナメが延々2kmも続くのだ。『やはり北海道の谷は日本の渓ではないな』と思った。ウオータースライダーなど遊びながら遡行し、ハングの滝が現れた所で巨大なナメは終了する。巻き道は右岸の泥壁を登り、5m位の残置ロープをごぼうで強引に超える。




 次の二俣は両門の滝になっており中々のビューポイント。左俣の本流を詰めると奥の二俣で崩壊した雪渓が現れた。今回は雪渓処理も想定していたが、結果的に雪渓が残っていたのはここだけであった。ここまで来ると沢はやっと源頭の様相になってきた。沢を忠実に詰めるとやがて水は枯れ沼地が現れだす。この沼の脇で幕を張り、昼寝をしているパーティーがいた。何とも羨ましい光景。真似したい衝動を抑えながら最後の露岩帯を登る。
 周囲でナキウサギが鳴き、いよいよ稜線が近い事を物語る。その稜線には14:50にぽっかりと出てしまった。天候にも恵まれ、実に良い沢旅が出来たものだった。ここまで持ってきた2本のロープを始め、ガチャは結局使うことがなかった。大休止して予定のひさご沼は明日の予定の効率を考え、トムラウシ北沼のテン場に変更した。最後のひと登りをして北沼には15:40着。ここの雰囲気もまた素晴しい。静かな沼のほとりに我々の幕が二張りのみ。煮沸は必須だが水の確保も困らない。(沢の水で少々腹痛はあったが・・。)ただ、テントを張り終えて気が付いたのは、先の遭難事故で犠牲者の一人が正にこの場所で倒れたことを物語る線香が足元に有ったことだ。確かに全体を通してこの稜線上は風雨にあったら目標を失い、吹きさらしの中でかなり厳しい状況になるだろう。追悼の意を表し合掌。
 テント内で西村さん食当のカレーうどんを食べている時、突然キタキツネが現れて食材を入れた袋を咥えて走り出した。あわてて威嚇した所で、食材を放棄して逃げて行ったが全く油断もすきもない。沢と違って焚き火はないが北海道は稜線のテン場もそれなりに楽しい。酒も明日の分を僅かに残して就寝。



 8/9は朝4:30起床。北海道の朝は早い。カレー味のマルタイを食べ、6:00に荷物をデポしてトムラウシに登った。30分ほどで山頂に着く。もちろん今日も快晴で遮るものの無い360度の景観は誠に素晴しい。



 ここで十勝に向かう大浦さんと別れ、残りの4名はザックを回収してここからは後半戦の大雪連峰を縦走することになる。(計画通りの縦走は内心嫌だなと思っていたが、トムラウシから見る計画末端の旭岳を見て気持ちが変わった)幕場に戻って8:00にスタートした。途中のひさご沼は稜線からかなり下った所に見えた。雰囲気は良さそうだが登り返しを考えるとひさご沼はパスして正解。



 化雲岳には10:15着。直接下山する道のある最後の分岐点である。ここを過ぎたら旭岳まで下山は出来ない。門脇さんが足を故障しているので様子を見たが、『何とかなりそう』との事。今日は行ける所まで行ってビバークすることにした。次のピークである五色岳まではトラバース気味にハイマツの中を行くが、ヒグマのフンが随所に見られた。この稜線は登山道を覆うハイマツの中を歩く箇所が非常に多く、これが何とも歩き難い。引っかかったり跳ね返されたり体力を消耗させられる。



 五色岳を12:00に通過し、忠別岳には14:00に着いた。距離的にはトムラウシと旭岳までの中間点僅か手前のようで、どちらも彼方に見える。忠別岳では多くの登山者が休んでいたが、ヘルメットとロープの括り付けられた我々のザックを見て『クワウンナイですか?』と羨望のまなざしで見られる。『いつかは行ってみたい』、『羨ましい』と山行中、何度となく声を掛けられた。
 本日予定していた白雲岳の幕場までは時間的に無理と考え、1時間の距離にある忠別沼に適地がある事を期待する。その忠別沼は15:00着。先行した木村さんが木道脇の適地にザックを置いて休んでいるのが後方から見えた。着いてみればここもまた素晴しい所。少々クマの出没を警戒しなければならない所だが、それを除けばこんなに素晴しい所は無い。
小休止して幕営準備に取り掛かる。暗くなりかけて食事をしていると、外から熊よけの鈴の音がする。この時間にこの場所で登山者か?と外を見るとジーパンにスニーカーの青年が足早に歩いてくる。背中には小さなデイパックと肩からはトートバックなど持っており、明らかに場違いな装備で夕闇の中をこの先2時間は掛かると思われる次の避難小屋までの行程が案じられた。食事を終えると他にすることも無い。エゾ鹿の鳴き声を聞きながら19:00には寝てしまった。



 8/10、最終日。今日で山を降りてしまうという名残惜しさと、温泉でさっぱりしてビールが飲めるという楽しみが交錯した複雑な目覚めだった。もちろん今日も快晴。4日間、本当に天気には恵まれた。今日の行程は最終日にして、これまでで一番長い10時間行動になる。簡単に朝食を済ませて6:00に行動を開始した。ひと山乗越すと高根ヶ原という平坦な地形になり、高山植物が咲き乱れる素晴しい所になる。
 緩やかな登りに差し掛かると白雲岳避難小屋が見え始める。その小屋には9:00に到着した。雪渓から流れ出す水場の水は冷たくて最高だった。忠別沼で汲んだ黄色く濁った水と入れ替えることにする。小屋からは僅かな登りで稜線の分岐に出ることが出来る。雪渓を歩いて一度鞍部に降り、登り返した所が北海岳。時刻は11:20。御鉢平を挟んで黒岳が立派に見えた。あと1泊して目の前のお鉢廻りをしたら完璧な縦走になるなと思った。
 間宮岳には12:30に到着。ここを下ればあとは旭岳を残すだけだ。その旭岳は最後にして最悪であった。登りは滑り落ちそうなザレた急登で短い時間だが嫌な所だ。山頂には14:10着。最後の最後にしてガスで展望が無く、はるか彼方になった筈のトムラウシが眺められず、これが心残りになった。



 下りは傾斜は緩いものの登り同様にザレた火山性の道でとても歩き難い。門脇さんはここまで通しで沢靴を履いており、フラットの底では最悪の条件だったようだ。
  ロープウエイの姿見駅には16:00着。長かった山旅もようやく終わった。先ずは地ビールで4日間の山行に乾杯!これが最高に美味かった。それもその筈、連日9時間以上の行動を晴天の中でしてきたのだから…(まあ、これは相当贅沢なことではある)
 今日の宿、『ヌタプカウシペ』はロープウエイから500mにある雰囲気の良いロッジだ。到着して先ずは温泉、そして西村さんが帳場からビールを持って来てくれた。栓を抜くのもまだるっこく一気にビールを流し込む。全身の全細胞に染み渡る美味さだった。山に入っている時間が長かったため、世間では地震、台風、ノリピー逮捕と随分状況が変わっていたが、隔世の中でのん気に遊ぶのも中々楽しい。美味い食事と、さんざんビールを飲んで気持ち良い眠りについた。

 8/11。今日はいよいよ帰京する日。西日本は大雨で大変だというのに北海道は相変わらず快晴。名残惜しくて台風で飛行機が飛ばなければ良いのに・・などと本気で考えたりした。12:50の飛行機までの時間を有効に過ごそうと、旭山動物園に行くことにした。時間は僅かであったが話題のスポットにも立ち寄れ、お土産も買い込んで、楽しい想い出に花を添えることが出来た。また最後は北海道らしいモノを食おう!ということで地元の人気店でジンギスカンを食べ、お土産に地元の民が愛用するジンギスカン鍋もめいめいで購入した。




 このようにして、『やれる事はすべてやりました山行』 は大成功に終わり、この記録を書いている2週間後もまだ余韻に浸っている状態だ。あのトムラウシから見た幾つかの山々に登る機会を是非また作り、再訪したいと考えている。
 羽田には14:50着、木村/平川はちょっとのつもりで工場に寄ったが、タッチの差で帰宅遭難に陥る所であった。

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執筆 : 
 2009-8-2 22:00
日程:2009年8月2日(夜発)?7日
山域:北アルプス/金木戸川の打込谷出合い付近/○○谷
   当初計画は北アルプス/双六谷・蓮華谷/九郎右衛門沢/五郎沢左俣/黒部川本流・赤木沢
山行形態:沢登り
メンバー及び役割:中山(CL)、両角充康(SL・装備)、片倉(記録、配車)、新屋彰啓(食当・写真)

記録: 天気は晴れ、夕立あり
2日(日)
19:30 八王子南口発、片倉車にて神岡町道の駅へ
23:30 神岡町道の駅着

3日(月)
05:00起床、6時前に出発、途中道を間違えても7時に打保着、すぐさま待っていたタクシーに乗り、とって返して金木戸新道車止まで行く。
08:00 金木戸林道は水門まで、11:30過ぎからは4:30頃まで踏み跡をたどりひたすら高巻をして進む。
時間切れ(17時頃)となり、岩の上でビバークとなる。酒を飲みながら楽しいひと時を過ごす。20時過ぎ就寝する。

4日(火)
05:00 起床する。朝食後、6時過ぎ撤退するが、途中で山道を発見し、荷物を置いて再び出合い(打込谷との分岐)を目指す。一時間程度で3本の枝沢を渡り出会い近くに出るが、水量が多く徒渉困難であった。納得して撤退することとし、荷物デポ地点まで戻る。
11:30過ぎほぼ難なく水門地点の林道まで戻る。そのあと、中山氏と新屋氏は、間違えた山道ポイントを確認に行く。
12:00 水門から車止まで約3時間、15:07に着き、中山さんがタクシーを呼びに携帯可能地域まで先行する。
15:40 タクシーにて打保の片倉車まで戻る。両角、新屋の両氏は明日帰宅、中山氏と片倉は他の沢に挑戦することとなったが、今晩は4人で新平湯温泉に素泊まりすることとなる。平湯温泉バスターミナル付近で夕食をしたのち素泊り温泉で11時ころまで酒を飲みながら、明日の予定地を探す。検討の結果、比較的緩やかな遡行が望める○○谷となる。

5日(水)
5:00 起床、帰宅する両氏を平湯温泉バスターミナルまで送った後、途中のコンビニで朝食をし、折立へ向かう。有峰湖手前では有料道路(1800円)を渡る小熊を発見した。
8:00 折立着。一時間ほどで○○川の○○橋に着く。
9:40 遡行準備をした後、遡上を開始する。行き成り進行困難な堰堤にぶつかる。石を積み上げてあるところを流木を利用して突破する。
単調な遡行で飽きが来た頃、鳶谷との分岐に差し掛かるが、何せ遡行図がない。出発時に合わせたはずの高度計の高度とも高度が違う。不安を胸にとにかく遡上を継続する。このまま単調なゴーロが続くのかなと思い気や、激流の飛沫を浴びながらの少し緊張する滝登りとなる。それから間もなく鋭いゴルジュを迎える。時すでに15時を過ぎている。覚悟をきめて高巻敢行、50分ほどで突破する。これで一安心するが、また、ちょっとしたスラブに差し掛かり、少し胸が躍るが難なく通過する。4時を過ぎビバーク地を探すが、なかなか良いところがない。
16:30 それなりの所で妥協する。
17:00 中山氏は岩魚釣りをする。片倉は火をおこすが、二人ともなかなかうまくいかない。中山氏が釣りから戻り、火をおこす。片倉は米を研いで、食事の用意をする。雨も降らず、快適に夕食と日本酒をのみ、疲れ果てて、お休みとなる。中山氏は真夜中に起きておき火の面倒を見ていたようだ。増水がないかも調べていたのかもしれない。。

6日(木)
5:00 起床。7:00過ぎ幕営地を立つ。途中岩魚の魚影が前よりも増して目につく。行く先々での岩魚との出会いにたまらず中山氏が岩魚釣りに勤しむ。するとすぐ釣れる。1匹、2匹、片倉もやってみると30センチほどの岩魚が針にひっかかる。魚は再び沢に戻す。今日の沢はこじんまりした、小気味のよい遡行である。
そうこうするうち太郎小屋のアルバイトが釣りをしているところに出くわす。場所をはっきり確認して片倉は安心する。その後、小一時間ほどで尾根に出る。詰めの登りも緩やかで草花が咲き、酔いもの、いや良いものであった。
10:58 太郎平小屋の西側尾根に出る。ここで遡行体制をとく。
13:30 太郎山登山口着。デポした車で着替えたのち今日の宿泊先である新穂高のまほろばへ向かう。例外なく途中の農協ストアで酒とビールを購入する。
16時30分頃まほろばに到着する。早速中山さんと家族風呂に入り、ビールで乾杯する。風呂のはしごをして一般風呂に入る。
21時頃、二人とも疲れたせいか、就寝することにする。夕食はウナギと岩魚の刺身と飛騨牛を日本酒を嗜みながら美味しく頂く
翌朝、三々五々起きて風呂に入るなり、酒を飲むなり。朝食もうまかった。
14:20頃、八王子駅北口着、自宅についたのは16号が込んでいて、自宅についてのは17:30であった。

感想など。
今回は計画に変更があった。
双六谷から蓮華谷、黒部川本流、赤木沢のコースへ行けなかったことは少し残念であった。。その代り、真川の○○谷を足の爪が剥がれるまで十分堪能できた。
はじめての、沢釣りで岩魚が釣れたこと。2万5千分の地図のみで谷を遡行でき、その上、素晴らしいゴルジュに遭遇し、それを高巻したこと。4日間の長い時間に挑戦できたこと。その他、いろいろの授業を受けられたこと。また、次回の北アルプスへの足掛かりとなった。



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 2009-7-24 23:00
日程:2009年7月24日(金)夜発?7月25日(土)
山域:小川山
山行形態:訓練山行 岩登り
メンバー及び役割:古屋(CL),寺本(SL),木村,菅原(記録)

 新松田駅に集合し、21:50 古屋車で出発。中央高速を須玉ICで下り、R141を清里方面へ。0:25野辺山駅着。雨は止んでいるが、曇り空である。駅の待合室の灯りはすでに消え、人っ子ひとりいない。こぢんまりとした綺麗な駅である。駅前には「標高1345米JR最高駅」の標柱が立つ。今夜はここでステーションビバークである。
 小川山は日本のフリークライミング発祥の地と言われ、広大なエリアを持つ。ルート総数約700本、あの湯河原幕岩が約370本だから、その大きさがよくわかる。小川山は私と寺本、木村は初めて、古屋は今回で4回目であるという。
 翌日、6:10 野辺山駅を出発。出発時は霧雨であったが、川上村の奥に入ると雨は降っておらず、道路は乾いている。6:40 廻り目平キャンプ場着。ここは白樺の多い明るい森に囲まれた雰囲気の良いキャンプ場である。周りには花崗岩の岩峰群がそそり立ち、空には青空が見える。
朝食後、「左岸スラブ」に移動し、「トムといっしょ」というルートにトップロープをかけ、クライミングを開始する。
    「トムといっしょ」  5.10a  8:00 ? 10:20
空には青空が広がり、白い雲が勢いよく流れている。日差しが強く、汗ばむほどである。次は隣に移り、二つのスラブルートにトップロープを垂らす。まずは「ジャーマンスープレックス」である。
    「ジャーマンスープレックス」 5.10c  10:20 ? 12:00
スラブはホールドが細かく、難しい。ここで「トムといっしょ」のトップロープを古屋が回収し、日陰に入り、昼食とする。正面に広がる岩場にマルチルートを登っている男女の二人組が見える。木村が「私もやりたいな」と言う。このルートは「春のもどり雪」といい、4ピッチ5.7である。古屋が今後のために取り付き点を見てくる。昼食後はもう一つのスラブに挑戦する。
    「ブラック&ホワイト」     5.10a  13:00 ? 14:20
ここのホールドも細かいが、私にとっては「ジャーマンスープレックス」よりはリードができる可能性がある。ここでエリアを変えて「父岩」へ移動する。林道を戻り、ケルンがある所を右に入って沢を二つ渡り、急坂を上っていく。「父岩」の「小川山ストーリー物語」というルートである。
「小川山物語」 5.9  14:50 ? 17:00
ここは垂壁ではないがフェイスの長いルートである。私がリードに挑戦するが、プロテクションが遠く、ランアウトするかと思うと急にモチベーションが下がり、情けないことにプロテクションを二つとって交代する。次の寺本もプロテクションを二つとって古屋に交代。古屋はテンションをかけながらも粘りに粘って、残りのプロテクションを四つとって終了点を掴み、トップロープをセットする。トップロープで木村、次に再度私がトライする。私は、トップロープとはいえ、初めての小川山クライミングの最後を完登で飾ることができ、これも古屋のお陰である。次回はモチベーションを上げて、リードで完登しようと思う。
私にとっては伊豆の城山で怪我して以来、久しぶりの外岩であり、緊張もしたが、楽しくもあった。自然の岩の感触、人口壁にはない開放感と楽しさを十分味わうことができた。トップロープを全部かけてもらうなど、ガイドのように動いてくれた古屋に感謝したい。
帰り支度をして、17:45 廻り目平キャンプ場を発つ。途中、河口湖町の店で、冷奴と煮山椒をつまみに生ビールで祝杯を挙げ、美味しい穴子天丼を食い、「秋口にでもまた来ましょう。今度はキャンプ場にテント泊で」と話がまとまった。


「トムといっしょ」を登る寺本


「小川山物語」をリードする寺本

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執筆 : 
 2009-7-10 23:40
日程:2009年7月10日(金)夜?7月11日(土)
山域:谷川連峰・湯檜曽川・ゼニイレ沢
山行形態:訓練山行・沢登り
メンバー及び役割:山本CL記録・片倉SL・須藤

記録:
前夜、谷川岳ロープウェイ駅に泊まる。
7/11 曇り
6:40駐車場所を出発 8:00入渓 10:40二俣 14:10登山道 16:30駐車場所帰着
指導センター先の駐車スペースに車を停めて出発。湯檜曽川沿いの道へ下り出会いを目指す。一ノ倉沢出会いで支度をして、対岸のゼニイレ沢へ入る。いきなりのガレ登りで息が切れる。振り返ると一ノ倉沢・マチガ沢には雪が詰まっている。30分ほど登るといきなりナメが広がる。 快適にナメを登る。ステルスラバーのフリクションが非常によく効く。のんびりと沢を味わいながら登る。上部2段6mの滝?で念のためロープを出す。残置ハーケンあり。傾斜がさらに増し、ナメが狭まり、唐突にナメが終わる。二俣で水が枯れてガレが沢筋を埋める。忠実に辿ると奥壁に当たり、階段状に見えるが外傾し登れないので左よりにブッシュがらみに乗り越す。さらに涸れ棚に当たり、捲けないので須藤さんリードで直登。スタンスは外傾しちょっとカブリ気味で一歩が悪い。ハーケン1本打ってAOして微妙なバランスで回り込む。40mくらいロープが出た。このハーケンはどうにも回収できず(回収したら登れなくなる)、残置した。この先は、結構密な藪に突っ込み20分くらいで白毛門の登山道に出る。
ナメはきれいで快適で良いのだが、藪直下の奥壁をどうこなすかが鍵と言える。久々に楽しい沢登りでした。




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