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山行記録 カレンダー
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msc_kiroku2 2005-3-25 1:29
メンバー:西館×2 他1名(非会員)  ハードな山行(私たち的には)が続いていたので、ピクニック気分で出かけたのですが、季節はずれの寒波に遭遇し、浅間山周辺も強風と降雪に見舞われました。地吹雪+ここ数日未踏のルートと好条件(?)が重なり、急遽ラッセル訓練となりました。 3月25日(金)  早朝発。9:45にはASAMA2000スキー場から雪上車で高峰温泉へ。CI後11:00から池の平湿原へ出発。このコースは林道で高低差もなく、山の経験のない非会員もいるため楽しいピクニックになる予定でした。ところが歩き始めて10mで先頭の西館(彰)が肩まで雪に埋もれ、これはまずいぞと急遽スノーシューをワカンに交換。スコップ他ラッセルグッズを携帯しての出発となりました。積雪はくるぶし?腰までといやらしく変わります。林道は山の中腹を巡っていますが、真南からの風が強く、南に面した道路は吹き上げた雪が積もって深いラッセルとなりました。それでも3キロほどラッセルし、池の平の避難小屋まで数100mというところまで到着。しかしそれからが行けません。道路上に雪崩れた雪が堆積してデブリ状になり、スコップラッセルもここまで。2時間半も経過してしまったため、帰路を考え退却。せっかくのテント(ツェルトのかわりです)も、「雪上でお茶を飲みたい」とのリクエストで持参したウィスパーライト&コッヘルセットも強風のため使うことなく撤退します。ちなみに翌日このルートは通行止めになりました。  宿着は3時過ぎ。高峰温泉は標高2000mの温泉として知られ、2つあるお湯は24時間いつでも入れる状態。早速お風呂をいただき、部屋のこたつに入ってヌクヌク。この快適さはしばらく忘れていたものでした。風呂好きの西館(彰)は深夜早朝もと4回も入浴してしまいました。 3月26日(土)  今日は12時の雪上車に間に合わせるためタイムリミットがあります。前日の反省をふまえ、極力荷物を軽くして高峰山へ。9時に出発。高峰山へのルートは先発隊がいたため私たちはラッセル泥棒となりました。順調に歩を進めますがピークが意外と遠い。しかし1キロを越えたあたりで山頂から戻る前グループを目撃。「あそこがピークか」と、歩を早めます。途中めげそうになるメンバーもいたのですが、昨日も今日も撤退では寝覚めが悪い。なんとか騙して11時すぎに高峰山頂へ。帰りは下り中心のためやっとピクニック気分が戻ってきます。最後の下りは各々斜面を好きに駆け下り、雪遊びを楽しみました。
天気はめまぐるしくかわりました。
地吹ぶくと視界も10mほどに。途中からはスコップでラッセル。
いちおう高峰山頂も踏んできました。

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msc_kiroku2 2005-3-23 11:57

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msc_kiroku2 2005-3-21 23:40
足拍子岳縦走(会山行) 3月18日?21日 西館
メンバー 清野CL 門脇SL 山本 野口 西館章子 西館彰芳
 素晴らしい雪山でした。
 18日夜に土樽駅へ入りステーションビバーク。今回は私たち6名以外に1グループと1名がビバーク。西館彰芳は不覚にも車酔いでダウン。深夜0時過ぎから始まった酒宴もウーロン茶を飲んで意気上がらず。3時には就寝して翌6時半頃起床、身支度を整えて7時出発。毛渡橋で魚野川をまたぎ、清水トンネルの上部から足拍子山頂を目指して北上します。この日は低気圧の接近もあって最初は軽い吹雪状態。視界は50m程度か? アイゼンにワカンという「お子さまランチ」装備で登りを開始。尾根沿いに樹林帯を急登するものの、先週、先々週の谷川とはまったく雪が違う。ラッセルも快調に、10時には1142m近辺の開けた場所に到着しました。
 ここで1本とった後、細い尾根を真北に向かいます。左手に足拍子の斜面が開けて見え、ここには2人でコンテで登るパーティが見えます。斜面は比較的急で、これをこけたらかなり下まで行きそうだなぁ、と気持ちを引き締める。樹林帯を抜けたところで、こちらもザイルを出しコンテ(というより縄で連行)で高度を稼ぐ。小さなピークを越えたところで、なぜか2人パーティと交差、ビレイ君は動く気配がないので、ちょっと停滞。話を聞くと、どうもここで引き返すらしい。ビバークの用意がない、ということで撤退してゆきました。
 こちらは先へ先へ。しかしこの辺からピークが連続するようになり「やっと登った!」と思うと次のピークが見える。やる気が失せること甚だしい。3度目の正直、というか3度目のピークでやっと足拍子が見える。この山頂、けっこう痩せ尾根に雪稜が吹き溜まっておりあたふたするものの、13時半無事足拍子岳山頂1408mに到着。
 さてここからは縦走だし、と思ったのもつかの間。痩せ尾根のアップダウンが始まる。いま地図を見てるからそう言えるのだが、現場では結構緊張の行軍です。途中からトップを山本さんが務め、ルートを開拓。尾根上には雪がかぶり、しかもハング気味。ピッケルでステップを切りながら登るのですが、時間がかかる。2ピークほどこうやってこなし、キツい頂へ登ったところが「クロガネノ頭」。そろそろねぐらを探す時間となりました。
 実はこの辺には「わらじの会」の会報に登場する「ホテルクロガネ」という快適なテン場があるらしい。たしかにクロガネノ頭を越えたところで傾斜はゆるやかになるが、天幕を張る気になるほど平らでもない。「もう少し先になるんじゃないか」「あんまり行くとヤッベーぞ」なんて会話が交わされる中、15時半でタイムアウト。結局小さなピークの頂上を整地してテントを張りました。
 さてその夜、12時過ぎに起きた西館が、仮設トイレにしゃがみ込んでふと前を見ると……亀裂が……。その先を目で追ってゆくと、テント設営場所の脇を通って頂の向こうまで続いている。
「……」
「清野さん……、ちょっといいですか?」
「……なに?……」
「テントの外に亀裂があるんですが……」
「どんなの?……」
「トイレから、テントの向こうまでずっと……。大丈夫ですか?」
「……うーん、大丈夫だと思うよ。わかんないけど」
 大丈夫だけど、わかんない……。納得がいかずにボーッとしていると、門脇さんが起き出して、外でタバコを一服。戻ってきて
「西、心配ない。寒いし雪も締まっている」
 その一言で安心して眠るものの、亀裂の向こうを行軍する山スキーのグループをどきどきしながら眺めるという夢に、西館はその晩悩まされたのでした。

 翌朝6時、とるものもとりあえずトイレに行って確認すると、やっぱり見事に断層が続いています。まあ朝まで保ったんだし、と朝食をとり撤収。7時半には一晩お世話になったピークを下る。振り返ると……約10mの切れ込みが山頂から真下に続いています。これがパッカリと切れ落ちなくてよかった。と、胸をなで下ろしたのもつかの間、本日は延々と痩せ尾根を縦走することを知らされます。
 昨日と違いまったくのドピーカン。西館は下着の長袖Tシャツにレインのアッパーだけだというのに、汗が噴き出すほど。眺めもよく、滑落したらどうなるかとてもよくわかる状態。その斜面を昨日に続き、縄につながれてトラバースが続きます。先頭は清野さん、門脇さん、山本さんが交代で務める。昨日と比べれば平面といっていいほど高低差がないのに、西館×2、野口さんはそれぞれの事情で徐々に足取りが重くなってゆきます。荷物の重さに加え、雪がまとわりつく感じで疲労感は無雪期とは比べモノになりません。加えワカンでの斜面トラバースは、蹴りこみが難しく脚力を非常に消費します。基本的に雪庇は南に張り出しているので、尾根の(進行方向)左側斜面頂上より1mほど下をトラバースしてゆくのですが、急斜面のため右足の蹴りこみと左足の置き場所が微妙に段差があって、そのバランスで疲れてゆくのがわかります。
 極めつけは清野さんリードで通過した斜面(進行方向)右手のトラバース。ほぼ垂直、といってもたぶん60度ほどに切り立った斜面を20mほど斜面に正対して抜けるのですが、アイゼンの前爪を蹴りこむ高さが、一歩ごとに20センチほど下降します。右手のピッケルを雪壁に打ち込みながら、支点となる足を軽く曲げ、もう一方を雪面に打ち込む作業が続きます。もちろんロープはフィックス、たしかこの時はタイブロック。終了点の灌木でビレイする清野さんの位置までたどり着くまでの時間が長かったこと。そうこうしながらも、コマノカミノ頭(1464m、10:20)、シシゴヤノ頭(1472.6m、12:15)を越え、ここらで目的地の蓬ヒュッテが間近に見え始めます。なだらかに続く稜線には、山スキーヤーの姿が見え、そのうちスキー跡を歩くようになったころ、後方の門脇さん、清野さんから戻ってくるように指示があります。
 「明日は天気が下りそうだから、ここから下りるぞ」
 門脇さんの指さす先は崖っぷち。でも覗き込んでみると、急斜面ながらなだらかに平になってゆくのが見えます。その先に絶好のテン場が見えます。斜面を200mほどまっすぐに下り、広々とした平らな場所にたどり着いたのが13時30分。本日は早くもテント設営となります。
 なにしろ天気がいい。日差しが暑い。マットを持ち出して昼寝したいような気分。みんなテントの周辺でのんびりとたたずんでいます。その顔を見ると……。もうすでに真っ黒。中でも山本さんはニットキャップをかぶっていたため、「千と千尋〜」の「カオナシ」のように焼けている。慌てて顔を隠しておでこを集中的に焼くものの、その効果のほどは……。
 早めの夕食、もう6時ころにはすることもなく、あるたけの酒もほぼ飲み終え、7時過ぎには就寝。さてその夜、門脇さんの予言どおり、雪が降り始めました。夜を徹して降り続けた雪は、朝には50センチほどの新雪で周囲を包み込み、さらに視界も50メートルほどとかなり劣悪な感じ。朝7時に下降を開始しました。
 トップは門脇さん。その門脇さんが突然消える。目の前に2メートルほどの崖があったのですが、まったく見えなかったため。もっともそれ以降は順調に下ります。後ろを歩いていたのですが、尾根を選び、立木周辺の雪の洞を避け、しかも足裏の雪の変化を確認しながら進んでゆきます。高度を下げるにつれ雪もおさまり、沢筋に出ると天気も回復してきました。トップを山本さんが務め沢へ滑落しないよう歩を進めます。もう大丈夫、という段になり西館、西館章子、野口さんの順でトップを務めますが、昨日のスキーヤーの轍がありそれをトレースする形で迷うことなく歩けます。振り返ると山の上はまだ吹雪。しかし樹林帯に入ったころには暑く感じるほどに天候は変わっていました。9時にはワカンをはずし、高速沿いの道を経て9時半には土合の駅へ。途中スキーヤーや山屋さんたちとすれ違うが、こちらはもう充分冬山を満喫して、次は風呂。10時の開店を待ち町営の「岩の湯」に浸かり、湯沢駅前のへぎ蕎麦屋「中野屋」で最初の反省会、以降和光市で第二反省会を経て、それでも5時過ぎには解散しました。
 ナイフリッジ脇のトラバース、吹雪く中でのラッセルと下降と、冬山らしさを満喫できた足拍子。清野CLにはもう来年のプランができあがっているようでした。

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msc_kiroku2 2005-3-21 23:30
無事終了して戻ってきました。
 18日土樽駅でStation Bivouac。翌19日7時に行動開始、清水トンネル上の尾根から登ります。10時半過ぎに1142m辺りの平場に到着、そこからが急登でした。途中2人パーティに抜かれますが、かれらは頂上手前で退却。私たちが南峰に立ったのが13時半、足拍子岳には14時15分登頂。そこから稜線を下ってクロガネノ頭へ。この頂上でテン泊。
 翌20日は6時半ころ行動開始、蓬峠へ向かい稜線を進みます。途中痩せ尾根が続き、前日と違い快晴のため下のほうまで見えるため、一歩一歩が慎重になります。順調に歩を進めますが、門脇さんが天候の崩れを予想し、蓬まで行くと下山が大変になると、急遽シシゴヤノ頭を越えたところで下降。1300m点に最高のテン場を見つけ、13時半には早々とテントを張ります。その後暖かい日を浴びながらの祝宴。日没を目処に寝ました(笑 
 その夜から風と雪が出始め、翌朝には視界も数10mに。門脇さんを先頭に一気に尾根を下ります。8時過ぎには沢筋までたどりつき、9時半前には土樽駅へ。10時には「岩の湯」でひとっ風呂浴び、11時に湯沢駅前の中野屋でへぎそばを食べて戻ってきました。
 こまかいディテールをとばすとあまり面白くありませんね。詳細は近日中にアップします。


足拍子岳へ。かなりの急登でした。


雪壁をリードする清野さん  いろいろありがとうございました。


足拍子岳。次の頂でテン泊。テン場設置のトイレより撮影!?。


2日目は蓬峠へ向けての縦走。痩せ尾根越えやら新人ヒーヒー。すいません核心はその場にいた人しか見ることができません(単に撮る余裕がなかっただけですが)。


最終日の帰路。上部では視野もほとんどない雪と風だったのですが……


今回のルートです(1泊目の位置修正しました)。クリックすると大きくなります(どの写真も大きくなります)。
※その他の写真一覧をアップしました。

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msc_kiroku2 2005-3-13 19:03
生徒:西舘×2 古屋 講師:門脇 会に入ってからの冬山講習参加。2004/10入会同期の3人で参加することに。講師には門脇さんが。 今回の谷川での講習は、雪洞生活技術を学ぶことである。我々新人3人は、事前に装備の相談確認などなどしつつ、まだ未体験の雪洞掘りに’わくわく’し、大きな雪洞を掘るぞ! タバコ部屋も作ろう、メイン雪洞部屋とタバコ部屋をつなげようか?などと、夢を膨らませていた。 3/11夜 谷川の駅からタクシーで谷川ロープウェイの駅へ向かう。すでに大勢の先客。暖かいとは聞いていたが、ムッとする暑さが感じられる。とりあえず自動販売機でビールを購入、つまみ片手に集まり、周りで寝ている方々に気を遣いながら、寝酒を始める。ビールのお代わりは自動販売機で、タバコも灰皿があり、トイレだってある。暖かい部屋で極めて快適な時間である。講師の皆さんと我々生徒、歓談の時間が続きます。明日からの講習に冠する質問をしたり、また道具の確認を始めたり、、 床についたのは12時は確実に過ぎていたと思います。ここは床暖房があり、そのまま身体を預けてしまうと熱すぎる。マットを’暑さ避け’のために引きシュラフも使わず寝ます。うとうとしたところで床の暑さに寝苦しい、、一晩中 この暑さで熟睡は出来なかった気がしました。 翌朝7時ころ出発、ロープウェイに乗ってスキー場まで。スキー場出発が8時頃。ここでアイゼン・ワカンを漬けていざ出発です。途中一回休憩を取り9時過ぎには雪洞設置場所に到着。雪洞掘りスタートです。我々の班は個人の装備で持ってきたモノも含めスコップを三本用意、五人の生徒に門脇講師で六名、門脇さんから雪洞掘りの市道をいただく。道路工事のように掻き出すのかと思いましたが、四角く切り出すように掘るのです。四角く掘り出した雪の塊を、ツェルトやシートに載せ、ある程度溜まったらそれを谷底へ捨てる。これの繰り返しです。ただ四角く切り出している姿勢は腰をかがめての作業だし、雪を捨てるのも腰をかがめての作業なので、十分に力が入らず結構疲労してくるモノです。交代しながら大きな雪洞を夢見て掘り続けます。この日の天気は曇り、雪も降っていて風もあり、あまりよい天気ではりませんでした。雪洞を掘る時には、濡れるので食器を洗う時の手袋がよいと謂われ持参しました。だいぶ役に立ったのですが吹雪いていて濡れる感覚よりも雪にまみれて首筋から身体に雪が入ってきて冷たいし、手袋もまくりあがり手首から雪が入って冷たい、、雪洞掘りで身体は暖まっているんじょですが、さすがに雪が身体にはいると冷たく結構冷えてしまいました。雪洞ができあがったのは二時頃でしょうか?我々の班の人数にしては大きな雪洞が出来ました。当初のタバコ部屋は断念、結構雪洞掘りは大変でした。お昼の休憩を取ったあと、雪洞内部をコッヘルで平らに整え、地面を整地、壁面にろうそく置き用の小さな棚をいくつか作成し、入口に雪の塊を使って塞ぎ、半分をツェルトでふさぎ完成です。 同時に入口から出て左側に通路を造りその奥にトイレを作成、これで快適な雪洞生活が出来そうです。湯を沸かし一杯、ロウソクの火で幻想的な空間の中、夕食を食べ、各々持参したつまみを食べ、楽しい雪洞生活です。他の班から来客を迎えたり品柄、楽しい時を過ごしました。外は吹雪が強くなり、石化津作成したトイレも埋まってしまっている有様、ダイブ天気が荒れてきた様子。 就寝は入口近くを門脇さんが、その他は適宜新聞紙を引きその上にマットを引いてシュラフに入り、寝ました。この入口は、雪の塊とツェルトで塞いだのですが、強風と吹雪のため雪が吹き込んでいます。夜トイレに行こうと目覚めると門脇さんの頭はすっかり雪に埋もれていてビックリしました。 翌日 六時頃出発。今日は谷川岳に向かって歩きの勉強です。昨日からの雪も手伝ってラッセルです。生徒先生合わせて20名以上が交代にラッセルしながら進みます。膝より上まで埋まってしまう雪の上をラッセルするのは思った以上にきついものでした。皆さん限界までラッセルして交代し、いちばん後ろにつきます。途中門脇さんが銭湯を歩き道を確認しながら、直線で結べるようになると我々がラッセルで進む。門脇さんは、’ここにいくの?’と思うような道を進んでいきます。後で聞いたら、夏道を何度も歩いているから分かるんだ、とのこと。急な下りを選んで歩いたりしている後ろから、不思議にはおもっていましたが、そういうことだったそうです。 八時ころ肩の小屋に到着、天気がよければ谷川岳を目指すのですが昨日に引き続き今日も強風、吹雪 とてもでないけれど谷川岳には挑めないということで、ここで折り返すことに。 しかしこの天気の中、肩の小屋近辺ではアタック隊がいるらしく、いくつかのテントがあり谷川岳には数組のアタック隊が登っていました、 我々は来た道を戻り、昨日のロープウェイまで、ラッセルをして帰ります。雪洞設置場所までは今来た轍がありますが、それ以降はまた本格的なラッセルです。ここから班対抗ラッセル競争?とばかりに、班ごとに分かれてラッセルをします。ここで我が班、我が会の期待の新人古屋さんがとてつもない体力でラッセルラッセル、、隣の班を意識しながら、古屋さんを中心に懸命に雪をかき分けていきました。ロープウェイ駅に着く頃には汗が出ているほどでした。ロープウェイに乗って降り、その駅で解散式。 その後門脇班は八王子で反省会をして帰りました。 今回の講習は雪洞とラッセル訓練でした。雪洞を掘るということは、なかなか普段の山行で実施することではないけれど、もし緊急の事態で一晩を明かさなければならなくなったとき、小さな雪洞でも掘って中で一晩を過ごすことで雨露をしのぐことができる、ということを知っているのと知らないのとでは違うのだ、と言われました。今回のように大きな雪洞を掘るのは、緊急時にはできないにしても、斜面に穴を掘ること 自体を体験できたことで、大変な勉強になったのではないか?と思います。
とにかく大きく掘りました。
避難小屋までのラッセルは腿くらいの深さでした。
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