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山行記録 カレンダー
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msc_kiroku2 2005-9-18 8:04
メンバー:中山(CL) 寺本(SL) 両角 森 須藤(記録) 1.行程 ・奥多摩駅8:23着?(バス)?川乗橋着8:50?(アプローチ)?逆川出合下 ・遡行開始10:05?遡行終了、ウスバ林道着14:30 ・下山15:30?全員無事、鳩ノ巣駅着:16:30(ほぼ予定通り) 2.実施内容  (1)沢遡行  (2)懸垂下降(ウスバ林道下大滝10m)  (3)ロープワーク、各種器具の使い方  ・ハーネスの装着方法(須藤のみ) ・8の字の再確認からビレイヤーのロープ、確保気の扱いの説明 ・タイブロック、8環の使い方(実使用) 3.所感 教室ではない、初めての”山岳会”での訓練山行、しかも夏バテを起こし立ち直り途上ということで、年甲斐も無く結構緊張した一日だった。 アプローチ途上で中山さんが、”ところで今日の山行の趣旨は何なの?”と両角さんに聞かれ、”所持品検査、遡行技術、ロープワークと一連の...”と仰られたところでハッとした。 所持品検査!あのザックの中身を全部河原に並べて一点一点チェックを受け、厳しい指弾を受けるあれか、と思い内心ゾッとした。両角さんのあの鋭い目でじっと見られたら...。 幸い所持品検査は行われなかったが、遡行準備でも遅れをとってはならずと焦り気味で、遡行開始後も暫くの間、いつ叱咤の檄が入るのかと、気が気ではなく緊張しっぱなしであった。森さんに”何だかすごく緊張してるよ”と話すと、”平気でしょう”と全くのいつも通りで、体だけでなく、人間の器がやはり違うのだろうか? 登攀では、1ヶ所の釜で私を除いた皆さん全員が攀れたところを登れなかった。 足がかりが少なく、私の力量では何度取り付いてもだめだった。”技術のせいではなく靴の差だ”と諸先輩に慰めて頂いたが、攀れなかったのは紛れも無い事実である。 ただただ悔しい思いが残る。 技能実習では初めて購入使用したハーネスの装着方法から8の字の再確認と基礎から教えて頂いたが、ハーネスの装着方法すらなっていない自分に多少の気後れを感じた。 沢登り教室に5回も通っていながら何をしていたのだろう? タイブロックは今回が初めての使用であり、こんなに小さいのに何でこんなに優れものなのだろうと思った。ただ登っていく時には使用するにしても、トラバース等タイブロックでなくてもよいところでは、なるべくプルージックを活用したいと生意気にも感じる。 せっかく習ったものだし、タイブロックを万一無くしてしまったらそれしかないのだから。 8環を使用した懸垂下降は、ぎこちなさはあるも何とか無事下降できた。 登攀と懸垂下降は上下動という意味では正反対のものだが、懸垂下降は浮遊感と開放感があり”今のところは”気分がいい。 もっとも、ビレイを諸先輩に確実に行って頂いているという安心感があるからで、自分でビレイを行うようになったらそうはいかないかもしれない。 ビレイはいろいろと説明をして頂いたが、出来る限り早く確実に身に付けたいと思う。 これができなければ、いつまで経っても”連れてきてもらっている”のであって一緒に”来ている”ということにはならないのだから。 自分のこととその感想ばかりを綴ってしまいましたが、私の一つ先輩の森さんは、清清と各訓練内容をこなされておられました。 全体を通して非常に得ることの多い山行でしたが、何よりも暖かく見守り、ご指導頂いた中山さん、寺本さん、両角さんに感謝致します。 中山さんには登攀装備の購入からお付き合い頂き、お世話になりっぱなし。両角さんには足の調子が未だ万全でないところを押して来て頂き、寺本さんには4時の電車で駆けつけて頂き、本当にありがとうございました。森さんもお忙しい中、計画作りお疲れさまでした。 今回を第一歩として、更に前へと踏み出していきたいと思います。 4.番外?渓相雑感 これまでの沢は教室での丹沢しか経験が無く、初めての奥多摩の沢であった。 丹沢よりも渓が狭く、傾斜が緩い、又杉、檜などの人口林がさらに多いという印象を持った。特に傾斜が緩いということからか、歩く時間が長い割になかなか上へあがっていかないという感じがした。 中山さん、両角さん、寺本さんたちはしきりに沢が”荒れてしまった”と仰っていた。 岩、石が乱れていて、大きな流木もところどころ目に付く。 釜も水量が少なく小さくなり、渓相ががらりと変わってしまったとのことだった。 私にとっては初めてなので過去との比較は出来なかったが、自分が感じたことは水が澄んでいないということだった。沢というと清冽な水という印象だが、大げさではなく、一目見てそういう気がしない。 特に場所によっては3番手、4番手から水の中を歩くと目の前の水が、前の遡行者に川底の泥が巻き上げられ、本当に土色に濁ってしまう。水も沢特有の”冷たい”という感じがしない。 遡行時にはあまり気に止めずいたが、下山途中でその訳が分った。ウスバ林道を歩いて間もなく、森の墓場に出会った。枯れた木々が伐られ、根株だけが一面の斜面に荒涼と広がっていた。 林道にして5百メートル、林道を挟んで上下2、3百メートル程に広がる相当な面積であった。 中山さんの話では、鹿が増えすぎた害で木、山が荒れこのようになってしまい、ここの土砂が雨が降るたび、渓に流れこむので荒れてしまったのだろうとのことであった。これだけ荒れると木々が元に戻るには何十年もかかるから”自分はもうここ(沢)へ来ることはないだろうな”と仰っていたことが印象的だった。 いつもそうなのだがこういう場を目のあたりにして、人間のとどまることのない驕りと、自分もその人間の一人であり、何もしていないことにもどかしさを感じる。
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