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msc_kiroku2 2007-4-21 23:07
日程 2007年4月21日土曜日 晴れ時々曇り 日帰り

メンバー 第2班 須藤CL山本SL、片倉記録

9:30 3名にて沢に向かう。
9:500 沢に入る。
11:05 休憩、昼食
頭から沢水を浴びながらF8を登る。
11:52 詰まってしまって小休止この間、F9(25メートル位で、2段或いは3段と言われている)を門脇さんが登っていく。その様子をはじめて観察する。また、下から携帯で写真を撮る。ここが、本間沢のクライマックス地点らしい。第2班は、沢の右岸を山本、須藤さんのロープワークで登った。
12:45 尾根が遠くに見えてくる。メンバー全員が一堂に会してしまった。
涸沢になる。あと、50メータくらいの所に来る。近そうに思った尾根にはなかなかでない。
1:35  尾根上の休憩地に到着、沢用靴を山用に替える人。着替えをする人。食事をする人。皆それぞれ、対応が違うのが目に着いた。そんな中、風がだんだん強くなってきた。天気も晴れ間より、曇りが多くなったような気がする。
13:35 下山開始
14:54 今朝の登山口に下山する。靴、ズボンを本間沢で洗う。
参加者にビール、ジュース、乾きモノが配られる。リラックスタイムだ。
15:30 過ぎか湯楽の里、相模・下九沢温泉に向け出発する。

(感想)
最初は靴、ズボンが濡れないように遡行していたが、行きがかり上?、沢の中に、靴、ズボンを浸すようになってきた。岩に足を置くのが最初は怖かった。滑るのではないかと慎重であったが、予想に反して滑らなかった。
  山には沢があることは理屈では知っていたが、丹沢にこんな素晴らしい所があることを。爽やかさと、新鮮さと、驚きとを持って感じた。

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msc_kiroku2 2007-4-21 23:06
定例山行   丹沢・早戸川 本間沢 沢登り
 日時 2007/4/21(土) 晴
参加者 一班 森(CL) 門脇(SL) 野口(記録) 砺波(装備)
    二班 須藤 山本 片倉
    三班 寺本 菅原 木村 高森
昨年 4月の沢で雪になったことがあったので 天候が気になりましたが 幸い良い天気に恵まれ 参加者も11人と多かったので 3班に別れて 行動することになりました 私たちは1班で 2班 1班 3班 の順に出発しましたが ほとんど9時ごろ同時刻の出発でした 今年の沢初めを終えた人が多かったが 私は半年ぶりなので緊張しました。それでもあまり長い沢でなかったのと暖かい陽気で 疲れが出る前に稜線にたどり着けました。蛭も這い出す前でしたので本当に良かった 
その後は 湯楽の里 下九沢温泉 にて 汗を流して帰りました

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msc_kiroku2 2007-4-20 17:10
 今日は朝発日帰り、7:00の新幹線―越後湯沢からのシャトルバス―ロ-プウエ-・リフト・ゴンドラ等を乗り継ぎスキ-場トップの1845mに10:10、シ-ル装着後約30分で中尾根の頭、1本目は神楽峰の北側の1984m峰から東の和田小屋(1320m)に降りている中尾根北斜面、雪の状態が悪いときはとても滑れないようなところ(雪崩そう)、標高差200m強沢状の大きな斜面を滑り右にトラバ-スして中尾根に戻り、あまり樹林が多くなく快適な斜面を尾根に忠実に滑ると「かぐらゴンドラ山頂駅」のすぐ上に出て終了良いル?トです。
 2本目はやや長いル-トの「雁ケ峰ル-ト」 12:10スキ-場トップから歩き始め「清八ノ頭」手前のコルからは、斜度がきつくスキ-は担ぎとなり13:30到着、気持ちのいい斜面を滑りあまり樹木のない緩い尾根を快適に滑り、「雁ケ峰」手前のコルからはまたまた担ぎとなるがわずかな距離、「雁ケ峰」頂上からは雪も腐りブッシュも出、小さな沢が入組みル-トファインデイングが難しいやっとスキ-場に出たが既に15:30予定を少々オーバ-してしまった。
 路線バス―江上温泉―新幹線―帰宅

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msc_kiroku2 2007-4-8 17:12
・日時・天気     2007年4月8日(日)   晴れのち曇り  
・山域・山行形態   西丹沢(ユーシン、同角稜線) ハイク
・参加者       ダブル 佐藤
・記録
今日は先日同様、ユーシンから同角の稜線を歩きました。車は、帰りを考えて小川谷出合から少し入った所にデポした。苦手な林道歩きだが、ユーシンロッジに向かう。青崩ずい道の迂回は、玄倉川が水が無かった?なぜだろうかと思いながら石崩ずい道を出たら玄倉ダムが水を堰き止めていた。そうだった、先日は堰き止めていなかったなぁ
大石山の登りはとてもきつかったが上がり切ったあとは順調な山行だった。天気が曇ってきたので眺めは、いまいちだった。檜洞丸方面への分岐周辺には、バイケイソウの新芽が顔を出していた。計画書ではここから檜洞丸に登るはずだったが、膝に違和感があったので、計画変更で分岐から下山する事にした。今回は、ストック2本を使っての下山をしてみました。膝の負担が少なくて楽な下りだったが、ストックのさばきに充分気を付けなければいけないと感じた。西丹沢県民の森は、ミツマタの群生が神秘的というか、実に素晴らしかった。穴ノ平橋から車まで林道脇の桜もきれいだった。途中、水を汲んで帰ってきました。

車6:30   小川谷出合7:00    ユーシンロッジ9:20     大石山10:25
大石山     同角ノ頭11:40     分岐12:15     石棚山13:30
石棚山     西丹沢県民の森14:40    車15:00

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msc_kiroku2 2007-4-7 23:15
参加者:須藤(CL、記録、装備)、山本(SL、食当)、門脇
日程:2007年4月6日(金)夜発?同8日(日)
行程:4月6日(金) 21:00 調布駅集合?練馬IC?関越自動車道?24:00土合ロープウェイ駅
4月7日(土)  7:10 ロープウェイ駅発?西黒尾根?12:45 トマの耳?一ノ倉岳?
             15:30 茂倉岳?茂倉新道?18:40 矢場ノ頭下
  4月8日(日) 7:40 矢場ノ頭下?茂倉新道?9:45 土樽駅

 足許の右(東)側に雪屁が張り出し、その根元はバックリと口が開いている。ゾっとして、いきおい足の動きが慎重になる。トマの耳からオキの耳を過ぎ、一ノ倉岳へ向かう稜線上だ。
西黒尾根はピーカンの快晴。シャツ1枚となる程の暑さで、急登と半分腐った雪があったものの稜線は広く、危なげなくトマの耳まで辿り着く。12時前を目安にしていたので1時間の遅れ。
“今日は残業か。”と覚悟する。
 オキの耳を過ぎたあたりから天気は曇り気味。稜線上の踏み跡は1?2人のものだろうか。少ない踏み跡だが、それだけ鮮明でかえって目障りな感じがする。雪は膝下までで、ラッセルはそれほどきつくはない。といっても先頭は殆ど山本さんで、自分は後ろに金魚のふんのようにくっついて申し訳ない。一ノ倉岳の急登途中で先頭を変わらせてもらう。踏み跡に混じりスキーの跡がある。
一ノ倉岳山頂はとても広い。幅20?30m、稜線のように北西へ100m程伸びている。標識らしきものは見当たらず、どこが山頂か分からない。小休止して周囲を見渡す。曇天だが視界は比較的良く、周囲の山塊が見渡せる。強い風が無いのが助かる。この先の茂倉岳はすぐ目の前で、なだらかに降りた後、再び急登となっている。稜線上の雪屁が右(北)側に1,2m張り出している。
時間はかなり押していて、もう蓬峠まで行くのはきつい感じであり、エスケープを念頭に置く。
 茂倉岳を目指し、先頭を行かせてもらう。ここからは踏み後が全く無く、とても気分がいい。雪山での至福の一つだと思う。雪屁を踏み抜かないように、慎重に歩を進める。急登が結構きつい。門脇さんが左足をつった様子で、かなり痛そう。新調したブーツも未だ足に慣れず、かなりきつそうだ。何一つネガティブな言を発せられないが、動きを見れば痛々しい程に良く分かる。
40分程で茂倉岳に着くと、西側下300m程のところに避難小屋が見える。今日はここで泊まろうと行ってみるが、雪に埋まっていないのは屋根だけでガックリ。何とか掘ってみようと試みるが、直ぐに諦めて、一服すべく雪を溶かしてお湯を作り始めた。と、そこへ北側斜面からスキーを担いで上がってくる人が。小屋へ着くなり、“窓まで掘れば入れる”と、この小屋の事をいかにも知っていそうな口ぶりで、直ぐさま、小屋の壁にそって堀り始めた。一縷の光が差した思いで、山本さんが一緒に掘り出し作業に加わるが、一向に窓も扉も出てこない。 “怪しげな人”は、小屋の位置が悪い、とか、窓は此処にないといけない、とか一人で文句を言って止めてしまった。始めは思わせぶりな口ぶりだったが、要は何も知らなかったのだ。後にWebで検索して分かったが、入り口扉は掘っていたのとは、全く反対側の壁にあった。
已む無く、茂倉新道をエスケープルートとし、下ることとした。が、これがとんでも無い選択であったことが後で身に染みて分かる。稜線上にはコブがいくつもあり、ひたすらナイフリッジのアップダウンを繰り返す。南斜面に大きな雪屁が張り出して、中にはその上にテントが裕に張れそうなものも。
その上至る所で、あんぐりと口が開いている。雪面の下4,5cmは弱層となっていて、それが滑ってアイゼンが効いてくれない。行けども行けども適当な幕場は無く、進むのにうんざりしてくる。
ヘッデンの行軍も覚悟した18時前ぐらいか、右(北)前方、稜線が北に折れた少し下に大きめの松の木数本が見え、幕場になってくれそうなコルが見えた。しかしその前には急登のコブ、“矢場の頭”が立ちはだかり、とてつもなく大きく見える。文字通り“最後の壁”だ。何とか北側斜面をトラバース出来、無事松ノ木々の下に辿り着く。体はグッタリ、喉はカラカラで、すぐさまお湯を沸かし、その横で幕場整地、テント張りを行う。テントに入って夜の宴になるも、皆疲れきっていて、食欲が今いち、それどころか酒もあまり喉を通らない。水ものばかりをやたら体が欲しがっている。
今日の行軍の厳しさを話しながら、9時半に就寝。
 翌朝5時に起き、7時40分に幕場を後にする。樹林帯に入るが、やたらと木の根が多く、歩きづらい。ただ、それほど太くはないが真っ直ぐ伸びたブナの木々が目に心地よかった。
土樽の駅に10時前に着き、10:08の水上駅行きに乗れてちょうど良かった。
 段取りCLの反省としては、ちゃんとエスケープルートを下調べしておくべきだった。避難小屋の向き、間取り、扉、窓の位置など、IT全盛の時代だからWebで調べれば、かなりのことが分かる。ましてエスケープルート上の幕場の位置にあたりをつけておくことは、最低条件だと思う。
幸いにも天気が何とか持ってくれたから良かったものの、吹雪かれたら最悪だったと思う。
今後の山行に生かしたい。
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